会話が成り立たないと相手が何を思っているのか、何を自分に求めているのか分からないわけで。コミュニケーションを拒否するのは、相手が好きとか嫌いとか、そういうの以前の問題だと思ってる訳です。相手のことをなんにも分かってない、判断論拠が何もない訳だしね。そんな状態で「返答するのはちょっと嫌だな」と思ってるのであればそれは一方的すぎる思い込みであって『勘違い』の域を超えないんじゃないのでしょうか。観念に囚われすぎて、『言葉』を完全否定している訳ですから。特に、ネットでは。
私はこういう日記を書いたり、かつては物書き、詩書きだった時代もありますから、『言葉』は重要だし、(誰もが持っている)懐刀だと思っています。自分の思想いを自分以外の人に伝えるには、これしかない訳です。それを自分の意志で放棄した人間は、もはや人として認められないのでは。勿論自分の意志以外のところで『言葉』を失ってしまった人たちはこれに該当しません。
それはとても、大事なことなんだよ。
そんなことをちょっと考えさせられたりしてます。
人が人を知るのは何らかの手段による双方向コミュニケーションのみであって。
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