架空自転車旅行社「ひとつな」

本業会社員の兼業ブロガーです。興味を持っていることは、キャッシュレスな生活、旅、デジタルガジェット、グルメ、自転車(折りたたみ自転車、ロードバイク)、ライフスタイル(VAPE、文房具など)など。このブログはそんな多趣味なアラフォーの僕、石谷玲(いしやれい)が運営する『じぶんメディア』として、興味を持っている物全てに対して実際に体験したことを全方位で情報発信していく超・雑記ブログです。

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じゃあ昔話でもしようか。

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その昔ね、私がゲルゲとか聴いてた頃です。遙か遠くニッポン放送の電波を福岡で受信していた時代の話です。私を軽くカルチャーショックに浸らせた番組があったのです。
 
サクラ大戦有楽町帝劇通信局
 
何が凄いって、この番組。まさに太正の世界をAMの電波の上で成立させた番組なのです。具体的に言うと、本物のCMの他に、雰囲気作りのためにわざわざ「太正時代のそれっぽい」CMテープを作り放映していたのです。それを聴いた私は、まずニッポン放送とRedカンパニー(というか広井王子)のショーマンシップに感動したわけです。それまでの私のサクラ大戦に対する認識は、「はしれーこうそくのー」の檄!帝国華撃団に乗せて広井王子だのあかほりさとるだの田中公平だのビッグネームが並ぶCMを見て「ああ、戦闘モードのあるときメモ*1か」というレベルでしかありませんでした。それを一変させた、味のあるメディアミックス作品。
 
私のサクラ大戦とは、ゲームでもアニメでもなく、ラジオだったのです。
 
そしてそのメディアミックス作品は、過去に例を見ない「○○の役をする真宮寺さくらの役をする横山智佐」というとんでもない舞台、歌謡ショウが誕生したのです。自分の役のコスプレをしてステージに立つというのはそれまででも怪盗セイント・テール櫻井智とか(笑)色々ありましたが、自分の役を通してさらに別の役を演じるという難易度の高い「なりきり」を演じる必要のあったこの企画は流石に私は無謀だと思いました。事実、そのトップバッターを飾った「愛ゆえに」は、声優の内輪ネタ・お遊戯会の域を出ないものとの評を与えています。でも、その企画のぶっ飛び方が私には信じられなかったのです。今と違い演劇出身の声優が少なくなかった時代ということもありますが、それにしても、喩え役が普段は舞台女優である戦闘少女であっても、まさかその役で舞台をやることになるとは、ね。
 
高校卒業し大学に入ってみると、私よりもサクラ大戦に思い入れのある人たちが集まっており、そのためか簡単な筋書きとキャラと、ラジオのインパクトしか引き出しのない私は次第にサクラ大戦から離れていくことになりました。ニッポン放送の社屋が有楽町からお台場に移転し、サクラ大戦のラジオも「サクラ大戦帝劇通信局fromお台場」「お台場通信局」と変わるに従いその味も失われただのアニラジになっていったことも、私のサクラ離れの一因になったことは否めません。故、私の中での歌謡ショウは「愛ゆえに」と「つばさ」だけなのです。
 
そして、今。折角東京に居を構えているのだから、かつて凄いなあと思った舞台に足を運びたいと思い、サクラ大戦ファンの友人に相談したところ、10周年の節目の今年がファイナル、と。しかも演目が「新・愛ゆえに」。即決しました。そして今日の観劇。みんな、10年も経つと殺陣が上手くなって、それにシナリオも洗練されてきていて、もうお遊戯と呼べないくらいしっかり「舞台」をやっていました。そしてラストの曲の愛ゆえにの、それもラストのサビ前の「あ〜〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜〜ゆ〜〜〜〜〜〜え〜〜ぇに〜〜」の思いっきり「タメ」る場面ではゾクゾクと背中が震えて止まりませんでした。この歌は前述のラジオで歌謡ショウの告知をするときに散々流れていた曲なのです。ここが一番泣きそうになってしまったポイントでした。懐かしさと、もうその刻に戻れない隔絶感。ラジオが夢を運んでくれていた、まさに青春花吹雪(昔のニッポン放送のステーションキャッチコピー)な時代。
 
幕が下り、友人に「どうだった?」と聞かれたものの上手く答えられなかったのは、こういう説明しづらい事情があったからなのです。別にコミケ明けで眠かったからとかそう言う事じゃないですよ(笑)

*1:ときメモ自体が私の中では蔑称であった。何故なら私の中でのあの機軸のゲームの根幹はPC版同級生だったから